「少女革命ウテナ」を大爆走した感想

1997年に放映されていたアニメ「少女革命ウテナ」を見終えた。

一挙放送の期間短くない?と思っていたが、3、4日で走り抜けてしまった。

あまりに美しい終わりで、その余韻が抜けないが、今のうちに感情を綴っておきたい。

 

 

この話は、OPにすべて集約されていた。

OP曲「輪舞-revolution」の歌詞も然ることながら、刮目すべきは映像だ。

ウテナとアンシーが太極図の陰陽のように目を閉じているところから始まり、男子生徒が歩いていく中で振り返るウテナと対照的に女子生徒が歩いていく中で振り返るアンシーが映される。

箱庭の中の箱庭であるバラ園で二人穏やかにたたずむ姿から、白バラを差し出して微笑むアンシーとそれを受け取り戦うウテナを経て、サビで映されるデュエリスト達の姿。

セル画とは思えないほど瑞々しい色彩と動きが駆け抜けた後に続く、ウテナとアンシーが手を取り合おうとしてウテナだけが落ちていくワンシーンは完全に最終回のそれだ。

そして、最後にはウテナだけが目を閉じ、曲の最後のフレーズが流れる。

 

最初はただカッコいいOP曲とサビ演出だと眺めていたが、23話を過ぎたあたりで「おや?」と首を傾げ出し、最終回を見終えた今となっては「たとえ二人離れ離れになっても 私は世界を変える」で胸がきゅっとしめられる感覚に襲われるようになった。

ストレートな歌詞と演出が刺さって抜けない。最初からこの結末にたどり着くための3クールであったし、最初から決まっていた結末だからこそのOPだ。

 

 

さて、物語そのものは、少年少女たちの友情物語であり、成長物語であった、と感じている。

 

主人公であるウテナは、初期は自分自身の理想である「王子様」との同一化を掲げていた。彼女の王子性と少女性は黒薔薇編まではまったく揺らがず、危ういバランスを保って輝き続ける。

それが、鳳暁生編に入り、大いに揺らぐ。大人の男の象徴である暁生に惹かれ、無垢な少女は皮肉にも、かつて石蕗に言った「いろんなこと」を知る。

知ってなお、ウテナはアンシーと向き合い、受け入れた。アンシーを拒絶するでも厭うでもなく、ひたむきに手を伸ばした。

そして、少女は確かに「革命」を為した。

 

一方、ヒロインであるアンシーは、初期はまるきり人形のような少女だった。自我がなく、ただ勝者に隷属するトロフィーだった。抑圧された自我の象徴であり、古いジェンダー観の象徴であったようにも思える。

それは物語終盤まで変わらず、周囲の成長に一人置いて行かれる彼女は、演出も相まっていっそ不気味であった。

アンシーの変化は、黙示録編に入ってようやく表層にはっきりと現れる。アンシーの秘密を知っても揺らがなかったウテナの姿が、彼女を変えた。利害なくただ自分を想って伸ばされる手があることを、彼女は知ったのだ。

そして、少女は確かに「革命」を為された。

 

革命を為し為された少女たちが、「いつか一緒に輝く」ことを夢見て未熟さと幼さの現れである学園から去っていくシーンで物語は幕を下ろす。

鳥肌が立つほど美しいタイトル回収である。

 

 

 

備忘録として、好きなシーンを書き留める。

 

まずは何よりも最終話「いつか一緒に輝いて」で、ウテナとアンシーが手をつなぐ所だ。

二人の指先が触れ合い、つなぎ直される瞬間は、ウテナだけが手を伸ばしていた第37話のラストシーンがあってこそ輝く。

その後のウテナのセリフ、「ごめん姫宮、王子様ごっこになっちゃって、ごめんね」は徹底的に強い存在だったウテナが見せた弱さであると同時に、視聴者にとっての勝鬨であった。

ウテナは王子様になれなかった代わりにアンシーの友人になり、アンシーを解放したのだ。これが革命でなくてなんであろうか。

 

次に、第37話「世界を革命する者」での二人のやりとりだ。

紅茶を傾けながら、二人はこんな会話をする。

「カンタレラってご存知ですか? 昔イタリアのボルジア家が使っていた猛毒の名前です。いかがですか? そのクッキー。それ、私が焼いたんです」
「偶然だね。その紅茶も毒入りなんだ」

イタリアのボルジア家といえば、やはりチェーザレとルクレツィアの近親相姦の噂と、政治における暗躍が浮かぶ。兄の暁生に翻弄されるアンシーの境遇そのままだ。

ルクレツィアはボルジア家の政治手段として使われ続け、本人が政治的陰謀に関わっていたかは定かでない。しかし、アンシーはあえて「私が毒を入れた」と告発することで隠し続けていた裏切りを認める。ウテナはそれに対し、「自分も毒入りの紅茶を君に差し出した」と返すことで、裏切りの事実をアンシーに差し出した。

二人は事実を認めてなお、クッキーと紅茶を口にし続ける。それはきっと、様々な感情を抱えた上で、互いが互いを赦した瞬間だった。

 

話としては第7話「見果てぬ樹璃」とそれを受けての第29話「空より淡き瑠璃色の」が大好きだ。

7話ラスト、樹璃の独白での演出がまず素晴らしい。

「こんな私を、あなたは憎んでますよね」

「そう、憎んでいるさ。私の思いに、君は気づきもしないんだから」

そこまでは親友に好きな人を取られた、というようにミスリードしておきながら、ここで樹璃のロケットペンダントの中身が映され、上記のセリフだ。

樹璃は決して枝織に思いを告げようとはしない。第17話「死の棘」で、枝織に思いを知られるが、やはり枝織に面と向かって言うことはない。それが更に切なさを掻き立てる。

第28話で、樹璃の所属するフェンシング部の正式な部長だった瑠果が登場し、三角関係が描写される。

枝織を想い、幸せを願い、けれど自分にも奇跡が起こることを望んでしまう樹璃。

樹璃の思い人である(と、思い込んでいた)瑠果と付き合うことで樹璃に対する劣等感から逃れようとしていた枝織。

樹璃を想うが故に悪役に徹し、樹璃を枝織への呪いのような想いから解放しようとする瑠果。

樹璃と枝織と瑠果の三角関係は、どこまでも一方通行だ。

 

そして、第29話だ。

ウテナと樹璃の決闘で、瑠果が樹璃の剣を出そうと胸に手をかけるシーンの彩度を落とした艶っぽさあふれる一枚絵は、ポストカードで一枚欲しいくらいである。

決闘の末、樹璃の薔薇は散らされなかったが、ペンダントがウテナの剣によって外れ、壊れる。樹璃はショックのあまりふらふらと壊れたペンダントに歩み寄り、薔薇を自らもぎ取り、決闘を放棄した。この時の足取りは完全に茫然自失としており、表現力に感嘆する。

降りしきる雨の中、瑠果が樹璃に優しい声で囁く。

「樹璃、心配ないよ」

樹璃が呪いのような恋情、もはや妄執になりかけていた気持ちを振り切っても、君は歩いて行ける、と瑠果が背中を押したように感じた。エンディングで枝織が樹璃の後を追いかけても、樹璃はもう振り返らない。これまでの彼女からは考えられない変化だ。

ところで、この話では、椅子が表現技法として使われている。最初2つだった椅子が3つになり、影絵少女たちの噂話の後はまた2つに戻る。

瑠果はきっと、命を賭して彼が望んだ革命を為したのだ。

 

 

長々と書き綴ったが、見終えた衝動も収まって来たので、「少女革命ウテナ」が20年を経て忘れられず愛され続けているのは、物語の重厚さゆえだろうと愚考しつつ、このあたりで筆を置くことにする。

 

なお、書き忘れていたが、キャラクターとしては樹璃先輩と七実が好きである。